教室の沿革
秋田大学医学部は、大戦後の疲弊と相俟って、立ち遅れた秋田の医療・医師不足を憂いた県民が一丸となって国を動かし、昭和45年(1970年)、戦後はじめての国立大学医学部として新設されました。
今も秋田市“本道(ほんどう・発祥地の俗称)”にある秋田大学医学部附属病院は、当初、医学部らしい設備は皆無でしたが、教官たちは新しい歴史を創る意欲とバイタリティに溢れ、少しずつ環境整備され、当時の医学生たちはそれに必死に食らいつきました。その情熱や粘り強さが原動力となり、現在の秋田モデルとも言われる医療教育があります。
初代:阿保七三郎名誉教授
当教室は、開設から2年後の昭和47年(1972年)4月に、阿保七三郎先生が初代教授として赴任され、胸部外科領域全般の診療・研究を行う外科学第二講座として開設されました。
教室として成人を迎えた開講20周年(1992年)には、同門会である【春秋会】が発足しました。会報創刊号に、その由来が書かれています。
「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」(春風のような優しさで人に接し、秋の霜のごとく厳しく自らの行動をただす)という意味です。
同門から巣立った外科医が東日本を中心に活躍しており、新体制に変わった令和7年(2025年)時点で春秋会・会員数は175名です。
第二代:小川純一教授
平成9年(1997年)2月には第二代教授として小川純一先生が就任されました。
小川教授の専門である呼吸器外科はもとより、食道外科や乳腺内分泌外科をさらに発展させ、診療班ごとに専門性の高い診療・研究を行いました。
二代から続く伝統ある当教室の外科医教育は、【若手術者・指導医助手】です。
この育成法により、専攻医はよりたくさんの執刀経験と責任感の醸成を促します。学生・研修医は、若い専攻医の“術者”としての活躍に自身の未来を投影できます。“指導医”は教えることで学びが深まります。
あらゆる世代が活躍できる育成システムを作り、医療従事者の密度を高める努力を継続しています。
第三代:南谷佳弘教授
そして、本学を卒業した初の外科学講座教授である南谷佳弘先生が、平成25年(2013年)5月から、第三代教授として胸部外科学講座に就任されました。
南谷教授は、令和2年(2020年)から2期5年間、秋田大学医学部附属病院長を勤め上げ、令和6年(2024年)4月、国立大学法人秋田大学第十四代学長として、秋田大学に集う学生・教職員を含めた全ての秋田県民の舵取りを任されました。
教室史を彩る三教授は、アカデミック・サージャンとして、がん治療やその予防にも新たな道を切り開きました。
第四代:今井一博教授
この度、令和7年(2025年)5月1日付で第四代今井一博教授が就任しました。
私たちがひらく、秋田の未来は、全員活躍型の未来です。全ての世代が、生き生き活躍する、ワンチームを作るため、全力を尽くして参ります。
ご挨拶